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鼻水垂らしながらカブトムシを売ってたら、いつの間にか起業してサラリーマンをやっていた話

2016年、自分の会社を経営しながら、エンファクトリーでサラリーマンとして働くという働き方をスタートした。今が僕にとっての第二のスタート地点ということと、こうなるに至った経緯をほとんど誰にも話していないので、社内ブログ更新のこの機会に過去~現在に至るまでを整理しようと思う。

 

幼少時代、自然が好きすぎた

愛媛県の伊予三島、埼玉県東松山市というダブル田舎で自然に囲まれ育った。小さいころから身近にあるものをビジネスにするのが好きで、物心ついたころからカブトムシを養殖して売ってみたり、当時流行っていたポケモンカードのトレーダーみたいなことをしてみたり。そんな子供だった。

 

小学時代、ゲームができなくて友人を羨む

そんな自由奔放な生活をしていたが、小学校に入ると生活がガラリと変わった。僕の両親はどちらも教師だったこともあり、俗にいう英才教育的な育てられ方をしてきた。習い事は毎日びっしり。塾、英会話教室、ピアノ、合唱、水泳、野球、書道、絵画教室。当時放課後に、友人がゲームしようぜ!と言い合うのを横目に眺めては羨んでいた。今思えば、パラレルに働く仕事の仕方はここが原点だと思うので、両親に感謝しているのだけど、当時は何で自分だけこんなに…と嫌だった。

 

中学時代、厨二思考が捗る

周りの人間の顔色を伺い、人の期待に応えることが正解なのであろうと本気で思っていた。親が喜ぶから生徒会に入った。先生にもいい顔をした。友人にはちょっと悪い顔も見せた。きっとこればゲームで、今思うと大分恥ずかしいのだけど、人生ってこういうものなんだと思って生きていた。

 

高校時代、何かが弾けて金髪になる

その分、高校では一生分と思えるほど遊んだ。高校は私服校で、髪も自由だった。髪は明るくなり服が大好きになった。週に2回はわざわざ埼玉の片田舎から原宿や渋谷、中目黒、代官山に繰り出した。ある日、僕の好きだったブランドに似ている古着のニットを300円で見つけた。試しにネットで写真の撮りかたと文書を工夫して売ってみたら驚くほどの高値で売れた。そこから服の仕入と販売がライフサイクルになった。インターネットの威力を知ったと同時に、隅に埋もれて誰にも見向きもされないモノに、ちょっと工夫して色を加えることで、誰かが価値を見出して手にとってくれる。その橋渡しに、自分が介在する価値があると気づいた。このことは僕自身の原体験として今も大切にしている。

 

卒業後一転、主婦になる

じいちゃんは、大工さんに道具を販売する金物屋を立ち上げた努力家だった。彼は戦争を体験して小学校も行っていない。でも当時憧れていたVOLVOというスウェーデンの車を買いたいという夢を実現するためにずっと頑張ってきたと母から聞かされている。そんなじいちゃんが、僕が高校を卒業する少し前に倒れた。動けなってから少しづつ痴呆が進み、トイレにもいけなくなり、小さくなっていく姿を見ているのはつらかった。僕の母も病気で入退院を繰り返すような状況で、店が回らない、家が回らない。なので結果、僕は浪人して介護をしながら実家の店を手伝うという主婦みたいな生活をすることにした。2年後じいちゃんは、ゆっくり眠るように亡くなった。

 

死のうと思ったら、仕事をしていた

それこそ当時は本気で精神が荒んでいた。高校卒業して2年ある種の閉ざされた場所にいつづけたからだと思う。大学も行っていない、スキルもない、生きていったとしても夢もない。十二指腸潰瘍になった。僕ってなんのために生きてるの?という自問自答を繰り返す日々を2年ほど過ごしてきたらどうなるかは想像に容易いと思うが、正直かなり疲弊していた。当時、本気でもう終わりにしようかなと思ったことがあって、その前に最後に何をしたいかなとまっさらな気持ちで考えてみたら「自分の好きなことを仕事にして生きていたい」、そんな当たり前のことに気づいた。

 

挑戦してみたら、挫折した

そうと気づけば早いもので、自分でやってみようとなった。そんなタイミングで友人が起業をしてそこに参画した。大学生をターゲットに絞った広告事業をしていた。結果盛大に失敗した。悔しかったので、その後またビジネスコンテストに出て起業した。ここでやっていこうと思ってたけど、小さな売上が立つ程度。大学卒業間際で、自分の力のなさを痛感して、就職を決意した。これらの体験は僕にとって、大きな挫折だった。今だから分かるけれど、自分が心から好きなことを仕事にする重要さといったらこの上ない。好きでもないものを売れないのは当たり前。僕はこれを強く意識していたはずなのに、実践できていなかった。常に信じている信念のような軸が自分に無いと、きつい時に歯をくいしばってでも踏ん張れないことをこれらの経験から学んだ。

 

就職から退職まで

就職したのは人材系のITベンチャー。当時まだ日本にFacebookが流行り始めて間もないころだった。日本の新卒採用はもっとソーシャルを通じてオープンになるべき。彼らと一緒に新卒採用を最適化したい、そんな思いで働いた。テレアポ営業から始まり、マーケティング・ライティング・イベント運営・事業企画を経験した。幼少時代に習い事で経験してきたことを、仕事で実践するのはすべてここで学んだ。今でも本当に感謝している。2年半働き、新卒採用以外の領域をもっと広く見てみたいという想いから退職を決意した。

 

浮気症からはじまった独立

色んな業界を見たいと思っての退職で、一つの会社に入ってしまうとやることが限定されることは知っていたので転職するという選択はなかった。悩んだ末、独立して人材領域で「Rplay」というメディアを立ち上げた。新卒だけでなく、中途領域もやってみたかったから。苦しいタイミングもあったけど、何とか黒字化した。今度はそのスキームを他の業界に転用しようと思っていたところある転機があった。

 

副業していいよという、お誘いに驚く

それはエンファクトリー代表の加藤からの入社の誘いだった。今度会社で新事業を立ち上げようと思うから、そこをやってほしいと。しかも今やっている事業は続けていいと。より大きな挑戦ができるし、やろうとしていることに対しても深く共感するそう考え入社を決意した。これが生まれてからの僕の人生と現在地点。

 

今やっていることも、相当にパラレル

そんな訳で、今僕は2足の草鞋を履いて生活をしている。エンファクトリーでは、ショッピングユニット、プロファイルユニット、クリエイティブユニットと3つの部署を横断して複数のプロジェクトの担当をしている。例えば、

・ここでしか出逢えないストーリーのあるものををコンセプトに展開する「スタイルストア」やそれに付随するリアル店舗「TENOHA代官山
・専門家やローカルプレナーを支援する「専門家プロファイル」や「プロクル
・みらいの商品を集めた「TSUKURITTE STORE
・自分が選んだアイテムを、一冊のカタログギフトにできる「COCOMO

などなど事業領域は違えど、人と人を繋げるという共通コンセプトを持った芯のある事業たち。これらを大きくすることに毎日ワクワクしながら仕事をしている。

 

面白いこと、企画中!

さらに最近、上で触れた新規事業にも着手しはじめた。独立して働くフリーランスに今までとちょっと違う働き方を提案する ”パラレルワーカー“ というサービス。

これは、「会社に飼われるのではなく、独立心旺盛でスキルフルなプレーヤーたちが必要に応じて集い、社会に価値を提供していく社会」のほうが今よりちょっと楽しいよねというアイデアから着想しており、未来の働き方を実現する第一歩だ。

当然、未だ無いものを定着させるという挑戦なので、大きな視点で世界・日本を見て未来はどうなるのかを思い描くことが重要になると思っている。この仕事は限りなく刺激的で楽しい。

 

最後にこれからどうするのって話

紆余曲折あった人生だけれども、27歳にしてたどり着いたこの働き方は僕の性に合っていて、中学時代の「僕はこうあるべきだ」という固定観念から開放され、心が自由になったように思う。なので、僕はこれからもこの環境で事業をつくり続けるつもりだ。そして、今まで人生で経験してきたの挫折や嬉しいこも全部ひっくるめて、自分の好きなことを突き詰めようと決めている。やることはそれはもう山のようにあるのだけれども、目の前のことを一つひとつクリアした先に何かしら道が拓けることは、身をもって体験してきているし、実現するイメージは脳内にある。

2年後、僕らが提案する働き方を今この文章を読んでくれている人たちが、当たり前のように利用している姿を想像をしながら爆速で進んでいくつもりだ。

 

仲間を募集しています!

ちなみに、未来の働き方を一緒に考える仲間も募集中。
エンファクトリーのパートナーとして働きたい方はもちろん、就職・転職を考える人までお気軽に連絡をいただければ嬉しく思います。最後までお付き合いくださりありがとうございました。

 

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